怒るのが苦手なのは欠点なの?

2023年9月3日



もともと穏やかな性格の自分。

今から40年以上前の話をします。

大学生でサークルに入り、2年生になった頃、3年生の先輩からこう言われました。

「君はもう上級生になったのだから、1年生に対して厳しく接するべきだよ。それなのに、君は優しすぎる。もっと怒らなきゃ!怒りを示さないと後輩は育たないよ」

と叱られてしまいました。

後輩を大切に思って指導はしているつもりですが……。

「怒り」が大切だという先輩に対して曖昧に頷いていましたが、結局、怒りを感じるなんてことはほとんどないので、変わらず。

結局、その先輩からは「だめな後輩」と自分に烙印を押されてしまったと思います。

卒業して教員になったときにも、先輩教員から同じようなことを言われてしまいました。

「あなたは生徒を怒鳴らないからダメだ」

またもやダメ教師の烙印です。

まぁ、時代もあったのでしょう。当時は「厳しく指導する=怒鳴る」が日常茶飯事のパワハラ教育全盛期でした。

そもそも、私の場合、怒りの感情が生徒に対して出てこないんです。

であれば、そんな環境の中で身を守るために演ずるしかないということで、試しに、時に大きな声を上げて怒鳴ってみました。

もちろん、自分の中では醒めていて完全に演技100%。

効果はあります。

一瞬、生徒は言うことを聞いてくれますが、それはあくまで恐怖を感じてのこと。あくまで一瞬。

これって動物的な本能の反応。

こんなこと、人を育てるという教育で意味あるのかなぁと疑問。

さらに生活指導の主任の先生からは「生徒にビンタができない教師は失格だ!」と脅される始末。

隣にいた別のベテラン先生からはビンタの秘けつまで指導されます。

「ビンタは利き手の反対の手で。そうしたら万が一裁判になっても勝てる。そして、横でなく斜めにあてる。そうすれば鼻血は出にくく、鼓膜も守れる……」

まぁ、ありがたいアドバイスですが、何か根本的な事が違っているという実感。

結局、仕事が向かずに教師をやめてしまいました。教育公務員として失格でした。

その後、民間会社で別の仕事につきましたが、同じように、昭和の体育会系雰囲気を持った会社。

時に灰皿が飛んできます。

でも、自分に関して言えば、やはり後輩に対して怒るということは殆どありませんでした。これは持って生まれた性格なので仕方ない部分があります。

が、それまでの過程で自分自身の中では心の整理は次第にできてきました。

やっぱり怒るなんて必要ない。

教育の面での指導では心の怒りにまかせた指導はダメ。叱るのなら、冷静に!

そう、感情にまかせて怒ってはだめ。

振り返って見ると、大学時代の先輩や教員時代、会社員時代の先輩たちはその辺を少し違って捉えていらっしゃったのでしょう。

さて、最近、ネットで相次いで「怒らない」人の話を見聞きしました。

いずれも「怒ることはエネルギーの無駄」という視点で書かれていましたが、私も大いに納得します。

怒るというのは、自分自身の体力を使います。そして、その後もしばらく心臓のドキドキや居心地の悪さを感じます。そして相手には恐怖感や不快感を与えます。一種、力によって相手をねじ伏せる行為とも言えます。そうして、こちらの思うとおりに相手が従ってくれたとしても、それは一時的な事。しこりは残ります。長期的に見ても、両者にとって良い事はないのだと思います。

昨今のSNS、特に短い文字数でメッセージを伝えるツイッターなどでは、怒りをあおるツイートが目立ちます。

その方が閲覧数を稼げるのかもしれません。

しかし、そんなツイートを読んでいる瞬間、自分自身の心拍数が上がるのを感じます。

身体に、そして心に良くないなぁ……と感じる事が多いのです。

ですから、やっぱり怒りの感情はない方が良いと自分は思います。

最近になって、SNSではそうしたメッセージを飛ばして読む習慣が出来るようになってから、ようやく心おだやかにSNSに向かい合う事が出来るようになりました。

怒りの感情、やっぱり、良くないものだと思います。