流れに身を任せて誰も恨まない失業
今回は失業のお話。
以前、エンジェルナンバーの記事で少し書きましたが(こちら)、今回はもう少し詳しく……。
サラリーマンを30年近く続けてきた私。
勤めていた企業では55才から定年退職対象者になります。その後、60才まで勤め、その後は再雇用で65才まで生活が保証されています。
ところが、家庭の事情で(介護です)50台半ばを過ぎたあたりから会社の仕事と家庭の両立が難しくなります。
そして、ある日、勤務パターンが変わり、それまでの介護ができなくなるピンチに。
その頃、会社では世界中にいるクライアントへの営業の仕事をしていました。これ、オンラインで結んでの仕事。
ふと考えたんです。これって、自宅でもできるんじゃないか。まだ、コロナ禍前ですが、そういう面では進んだ会社でした。
そこで、上司に相談を。
介護の事情を話し、一旦会社を早期定年退職し、この仕事をフリーランスで続ける事は可能かどうか。
結果、上司は方々と相談して下さり、快くOKしてくれました。
そこで、退職手続きに入りました。そして、退職の1ヶ月前、そろそろフリーランスとしての具体的な仕事の手順を上司に相談しようとしたところ、上司から「忙しいから、もう少し待って」との返事。そして、2週間前より、慣例となっている年休消化に入ります。
ところがここで不思議な事態に。
上司にいくら連絡をとろうとしても電話に出てくれないのです。
そして、ようやく退職の時となり、上司と会い、その相談をしたところ、
「悪いけど、あの話はなかったことにして下さい。状況が変わりました」
あっけにとられた私です。
「え?私の仕事は?」
「もうあなたは我が社とはご縁がありませんので」
退職の手続きを済ませ、途方にくれている私に、仲の良い知り合いが教えてくれました。
「おまえの退職を快く思わなかった上級管理職がいて、けしからんから絶対におまえを雇うなと横やりが入ったんだよ」
なぁるほど!その会社の体質を良く知っている私ですから、さもありなんだと思います。
しかし、直属の上司のことは信頼していただけにショックでした。正直言って、眠れない日々を過ごしていました。
これからどうやって生活すればいいのか……。
しばらくハローワークに通いつつ、絶望の日々でした。
しかし、そこから数ヶ月後、以前、仕事でお世話になった方から連絡があり、そちらでフリーランスとして仕事をしないかとのお誘いが。そして、1年後に正式にそちらで仕事を続けることになりました。
捨てる神あれば拾う神ありとはまさにこのことです。
その方、実は私の営業の仕事ぶりを見ていていつも感心してくださっていたんそうなんです。実は私と同じ仕事をする方がもう一人いらっしゃって、その方は優秀なのですが、少々わがまま。そのことで、営業の事務サイドの方々は後処理に苦労していたといいます。私の場合はそのようなことがなく、人柄からも安心していたとのこと。そこで信頼してくださって、仕事のオファーをしてくださったというわけです。
何事も仕事を丁寧に、そして、いくら仕事が出来るからと言って不遜な態度を取らず、回りの方々への気遣いなどが大切だということを改めて実感した出来事です。
そして、さらにその1年後、思わぬ事態が起きます。
やめた会社で突然に人員整理の嵐が吹き荒れます。きっかけはある国で出した巨額の損失でした。
何人もの人々を退職や契約打ち止めに追い込むことになるのですが、もし、私がそのまま残っていれば、私自身が大勢の人たちの首切りを直接担当し、そして、その職場の閉鎖の処理をしなければならず、相当に苦しんだと思います。というのも、私自身、その職場が大好きで大好きでたまらなかったということもあります。
そう考えると、退職して、まさかの失業をして、本当に良かったと思える出来事でした。
人生、こういうことはあるんです。
今となっては、私を裏切った当時の上司を恨んでいません。むしろ、首を切って下さってありがとうと言いたいくらいです。
そして私を雇うなと横やりを入れた上級管理職、彼はその後、不祥事が発覚し、罰せられることになりました。いわゆる因果応報かもしれません。
が、彼の事も恨んでいません。
だって、結果として、今の私は幸せなのですから。
人生、苦しいときは「あ、今はそういう流れなのだな」と思うことも大切かもしれません。
もちろん、裏切りに合えば、その人を恨みたくもなるのが人情です。
でも、その行為は憎んでも、その人を恨まない。
それが自分自身の心の健康のためには良いのではないでしょうか。
この体験を通して、そう思えるようになりました。
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