少しの違和感を見逃さず、そして、心のままに従うということ

遠方に住む古い友達と久しぶりに会う約束をしました。
仕事が立て込んでいて、苦労してスケジュールを空けます。
そして前日、その人と会うために、特別な用意をしようとしていました。隣町まで出かけ、買い物をする予定です。手のかかる準備ですが、きっと喜んでもらえるだろうと頑張ることにしていたのです。
ところが、その日、ふと頭をよぎります。
あれ?なんか違和感があるぞ。
その準備はかなり時間をかけて、そして肉体的にも負担がかかるのですが、その分相手が喜ぶだろうと思っていたのです。
それが、「なんだか違う気がする。いや、喜んでもらえるのは間違いないけど……。用意しても活かされない気がする。なんだろう?」
その妙な違和感が生じたときというのは、その違和感大切にし、従うべきというのが、人生を生きてきて得た知恵でもありますし、実際に何度かそのことで助かったことがありました。
結局、その準備をやめました。自分自身でもその準備そのものも楽しみにしていたので残念でしたが、そこまでしなくても会えばそれだけで喜んでもらえるし……。そう心で念じます。
さて、会う当日。早朝に連絡がありました。
「ごめんなさい。体調が崩れたので今日は中止してください」
持病が悪化したとのこと。
思わず心配になりますが、とりあえず回復を念じておきました。
この日は加えて猛烈な暴風雨。これではせっかく用意した準備も活かされません。
虫の知らせというわけではないでしょうが、余計な準備をしなくて良かったことになります。
翌日には、その人は元気を回復。その数日後、改めて会うことになり、当初予定していた特別な準備も。今回は滞りなくできました。
年齢を経てからこういう事前の「勘」というのが働くようになった気がします。いや、若い頃からあるのはあったのです。特に瞑想などを始めてからは増えました。ただ、若い頃は何事も前に進むという行動パターンでした。ですからこうした違和感は無視。それが年をとって、ブレーキをかけられるようになったということなのでしょう。
ポイントは「少しの違和感でも、見逃さず、そして、心のままに従う」ということかなと思います。



























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